私はいま、自分がどのようにしているとベストなのかを感じるために思考を少しお休みしてみています。昨年になって、マスコミが急激に地球環境問題をとりあげるようになり、いまごろに大騒ぎだなんてという気持ちもあったり、私の暮らす山元町に巨大風力発電建設の計画があることを知り、これは住民の健康と海辺の自然を破壊する内容であるために歓迎することができないという気持ちもあって。どのように整理すべきか、自分の答えを探しています。
風力発電については、できる限り得られる情報からたくさんのことを調べました。反論するためには知識と代替案が必要です。地球環境のために自然エネルギーに変えていくことが重要なことであるのは十分承知しています。だけれど、環境破壊が伴うやり方、望ましくない自然エネルギー開発の仕方にはノーを言わなければ、自然が壊れていくのです。そして、地域住民の心と身体への負担も大きいのです。山元町の巨大風力発電建設は、砂浜から50mのところに、高さ150m(SS30やアエルの高層ビルと同等)の風車が9基という計画です。ヨーロッパでは住居から10〜20km離すようになったり、秋田でも沖合7kmで検討したりしています。砂浜から50mであることは、海辺の生態系への影響だけでなく、東日本大震災の大津波にあってようやく日常を取り戻しつつある住民の家に近すぎるということです。超低周波音による影響は日本では3kmまで数え切れないほどの被害報告があります。皆さんが来られたことのある我が家ノワイヨは海から約1.5kmです。新しい山下駅やその周辺のつばめの杜も3km圏内です。さらに、高さ150mもの大型サイズはおそらく日本一になるでしょう。町のどこからでも見え、建ち並ぶ高層ビル群のように人工物が美しい海の空の景色を変えてしまいます。ですが、私には代替案がみつけられないのです。
私は1992年から2005年ごろまで環境問題について調べたり学んだりしていました。きっかけは、ライターの仕事柄と結婚後の不妊でした。そのずっと以前から問題としてあがっていたのに社会は変わろうとしなかったことに当時も心を傷めていました。「沈黙の春」はレイチェル・カーソンが1962年、つまり58年も前に書かれた、自然環境破壊への警告です。私は知ったことを伝えなくちゃと思いました。自分にできることを考え、2001年にオーガニック食材店とヴェジタリアンカフェを、2004年にハーブショップとスクールをはじめました。これらは、ぜんぶ私自身へ用意した代替案です。食べものやシャンプー、石けんなど暮らしで使うもの、薬などの代わりになるものを自然な形でお伝えするためにお店という窓口を開きました。「これはよくない」だけではなく、「それなら、これがあるよ」。ネガティブな警告だけでは心配な気持ちになるばかりです。知識と知恵があれば誰も困らないのではないだろうかと考えました。ハーブがあれば、からだによいだけではなく美しくて心地よいものを自分でつくれるよろこびに包まれます。シンプルで、ていねいな暮らしを取り戻し、自然界とつながっていくのです。
けれども、環境問題は変わることなくここまで来たのですから、手強いです。その手強い相手は誰なのか。普通に暮らす私たちが取り組むことではないのではないだろうかと思いはじめました。なにが問題なのかをずっと、ずっと考えていて。夕暮れに思うのは、「社会の仕組み」に問題があるのだということです。環境問題にすり替えないで、よく見てみれば、長年の仕組みそのものが危ういのです。
2005年に読んだ『地球のなおし方〜限界を超えた環境を危機から引き戻す智恵〜』という本にも、「技術や経済の力では環境問題を解決できない」「システムの構造そのものを変えること」とあります。もちろん、いまとなっては、応急処置も必要な時期です、根本問題だけでなく技術で対処もすべきと思います。まるで、現代医学と自然療法の関係を話すときと私は同じことを言っています。ぜんぶつながっているのですね。
『地球のなおし方』ドネラ・H・メドウズ+デニス・Lメドウズ+枝廣淳子著/ダイアモンド社
左の小さな本について、2007年にブログで書いていますので、抜粋します。あまりこういったことを話さずに来たのですが、直面したなら知ることは大事だと思い書き綴ってみました。同時に、知らないという自由も大事に思います。
以下、昔のブログより。
『おそるべき食物』という古本は、いまから61年前の1959年に出版されたもの。着色料、防腐剤、漂白食品などの恐さが根拠に基づいて説明されています。これほど早くから警告を伝える情報が存在していたというのに、複雑なからくりや悪循環によって、著者の願いは叶わないまま今日まできてしまったのですね。えたいの知れない食べものを消費者が手にとらないのがいちばんの解決策ですが、わかっているけど変えられないのは、これはもう、洗脳されてしまったからでしょう。常識にはウソがあることを、頑張って頑張って理解しましょうよ。
〜結局、消費者が買わなければよい。これはおそるべき食べものに対する最後の決め手だが、それには消費者とくに主婦が不良食品に対する正しい知識を持つことだ〜
と、この本に感銘した毎日新聞がコメントしています。だけど、そのコメントから60年たとうとしているのに産業は何も変わっていないのですから。普通に暮らす私たちがもっと目を見張るべきです。気持ちのいい食べものを選ぶ目を、心地よい品物を選ぶ目を取り戻すしかないと思います。
『 おそるべき食物』天野慶之著/筑摩書房
2007年5月 岩佐ゆみ
思っていることを書くのは勇気がいることです。立場により、意見はさまざまだからです。正しい情報を知ることもネット社会がかえって困難なものにしています。私たちが選ぶものひとつひとつが世の中を動かす力となっていることを知ると、美しいものを選ぶことを選択したいと思います。ですが、すべての人がそのようにすべきとは思いません。身体の不自由な人には便利なものが必要です。良くないと知りつつ生活のために環境に悪影響のある仕事を続けなければならない人もいます。良いことを言っているつもりでも、誰かを傷つけていることもあり。だから私は必要な人にだけ届ける方法を選びました。でも、いまは目の前の巨大風力発電について目を見張り、ときどき発言したいと思っています。
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